American Life
初めてのアメリカ生活。私の数々の失敗や街でみつけた面白いことなどを書いていこうと思います。 面白いことを発見するアンテナを作りたいな。
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メキシコ旅行記 最終回 世界遺産 チチェンイツァー遺跡 
ユカタン半島に栄えた美しく神秘に満ちた都 チチェンイツァー

1988年に世界遺産に登録された"イツァーの人々の泉"の名を持つ チチェンイツァ遺跡は、ユカタン半島で発見されている数多い遺跡の中でも最大級の遺跡です。
この遺跡は、マヤ地域で最もその歴史、時系列について学術的議論を呼び、最も研究されている遺跡のひとつです。
かつてこの都市に暮らした住人たちはどこからやってきたのか等の疑問は未だ明らかでなく多くの謎を残しています。 ピラミッドがそのままカレンダーである城砦風「ククルカンのピラミッド」や 当時の社会構造が見れる「戦士の神殿」、またメソアメリカ最大の「球戯場」や「いけにえの泉」、「天文台」など、代表的建造物が広大な敷地に点在しています。現在確認されているチチェン・イツァーは、南北3キロメートル、東西1.5キロメートルにわたる広大な面積を占めており、公開されているのはその10%で、他は発掘中です。それでも全部まわるのに2時間半くらいかかります。
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海辺のリゾート、カンクンから車で2時間半。こんな真っ直ぐな道を進んでいきました。
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石灰岩質の土地はガムの木の生育に適していて、マヤ人は歯磨きがわりに樹液を噛んでいたそうです。それをアメリカに持ち帰って作ったのが、チューインガムのクロレッツ。ガイドさんによると、9月ごろには人の手サイズのタランチュラが道に出てきたりするそうです。それを聞いてゾーっとしました。

チチェンイツァーは、9世紀初頭から建設が開始され、13世紀末には放棄されたと推定されています。
マヤ遺跡とはいえ、この地方はその間二度にわたって外来人の侵入を受け、主権も交代しています。一つはメキシコ高原からやってきたトルテカ族の一派で10世紀末頃。もうひとつはタバスコ方面からやってきたと推定されているイツァー族の一派で13世紀の中頃です。
何故か共にククルカンと呼ばれる指導者に率いられ、西方では主神格のケツァルコアトルに象徴される文化を持ち込んでいます。その為にチチェン・イツァーの遺跡には、いわゆるマヤ的ものとメキシコ的なものとが互いに混じりあった形でその軌跡を留めています。

遺跡はその時代様式から三つに区分されています。
マヤ古典期後期(AD600-900)から後古典期前期(AD900-1200) にかけて存続したとみられる中央部、南のグループ、そして、それよりやや新しい北のグループです。

それでは、代表的な遺跡をご紹介しますね♪

中央部 旧チチェン・イツァー遺跡
チチェン・イツァーでは最も古い区域で、西暦510年頃から建設が始まったといわれ、そこには、当時、天文台として使われていたとみなされている"カラコル(かたつむり)"、それに、"赤い家"、"鹿の館"、"尼僧院"、"教会"など伝統的なマヤ様式を継承した建造物が修復、復元されています。
天文台 カラコル
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このカラコルが、天文台とも呼ばれているのは、昔、マヤの神官たちがこれらの窓を天体観測のために使っていたのではないかと推測されているからです。窓辺にはあごを乗せるのに丁度いい所もあるそうです。望遠鏡もない時代、観測は自分たちの目を使っていた彼らですが、1年を365日6時間9秒としていて、うるう年まであったというから驚きです。
この天文台の下の右側にもう一つ階段があるのが分かりますか?
こちらは天文学を学ぶ学生たちの勉強部屋でした。

この柱の上に天井が乗っていたそうですが、164cmの私の背で天井までぎりぎりの高さです。
かなり低くて驚きました☆
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それもそのはず、マヤ人は背が低く、成人男性でも140cmくらいだったそうです。

中央部の一番奥 大階段状のピラミッドが「尼僧院」です。
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この尼僧院は、正面向かって右側に大きな穴がぽっかりと開いています。これは、ここを調査していた学者がこのピラミッドの下にもう一つ別のピラミッドがあるのではないかと考え調査のために爆薬で爆破した跡なのだそうです。なんとも荒っぽいやり方ですね。でも彼の読みは的中し、中から別の時代に建てられたピラミッドが発見されました。
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写真右側が新しく建てられたピラミッドで、左側が古いピラミッドになっています。このアーチ状に積み上げられた天井は、マヤアーチと呼ばれています。屋根をみるとその文明の建築水準が分かるそうです。多くの建物はこのマヤアーチのおかげでまだ倒れずに残っています。でも、先ほどの学生たちの勉強部屋は屋根が平らに乗っていただけなので現在では崩落し当時の姿を見ることができません。
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二つのピラミッドの間の空洞を歩いてみました。奥の方は真っ暗。頭上にはこおもりの姿も!

これだけたくさんの石をどうやってここまで運んできたと思いますか?
まず思い出すのが丸太の上を転がして運ぶエジプトのピラミッドの建設の様子。
でもここでは、なんと人々が1m間隔で並び、石をバケツリレーのようにして運んだのだそうです。だから、どれも人が一人で持てるような小さな石です。大きな大きなピラミッドをコツコツと小さな石を運んで完成させるなんて、マヤ人は根気がありますよね。

教会
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これは、尼僧院と呼ばれている建物に隣接していることから、「教会」と呼ばれています。中央は雨の神チャックモールのモチーフが描かれ、その両脇にマヤの東西南北を司る神様(蜂を背負った神官、カメ、貝、アルマジロ)が描かれています。
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これが雨の神チャックモール。どこにチャックがいるか分かりますか?写真の真ん中に象の鼻みたいなものがあるのが分かりますか?それがチャックの鼻。その上に目が二つ、したに口があります。ほーら、チャックの顔が現れたでしょ?

北部 新チチェンイツアー遺跡
北のグループは、チチェン・イツァーにトルテカ族の一派が侵入した西暦980年頃から建設が始まったといわれています。この区域には、カスティーヨ(城砦)、戦士の神殿、ジャガーの神殿など壮大な建築物が残されており、その端々に刻まれた羽毛の蛇や蛇の頭像は、進入者トルテカ族の持ち込んだ守護神"ククルカン=ケツァルコアトル"の化身といわれています。
カスティーヨ
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遺跡北部の区域内に1歩足踏み入れると、正面前方にカステーヨと呼ばれるピラミッド型の神殿が現れます。このカスティージョは、全体が暦として設計されており、91段の階段の四面を合計すると364段となり、これに頂上神殿の1段を加え、1年の日数のと同じ365段となっています。
この階段の前で手を叩くと、テオティワカンと同じようにククルカンの鳴き声のような音がしました。
ピラミッド風のこの巨大建築をかつて"カスティーヨ(城砦)"と名付けたのは、ユカタン半島の征服者フランシスコ・デ・モンテホで、1527年、彼がその部下を引き連れて初めてこの地を訪れた時であるといわれています。一方、初代ユカタン司教ディエゴ・デ・ランダは、当時、その土地の原住民から「この巨大建築は、その昔、大勢の部下を従えてユカタンにやってきたククルカンという髭をはやした人物を祭ったものだ」という話を聞き、"ククルカンの神殿"とその建造物を名付けました。ククルカンは、古代メソアメリカの神話にあっては、各地に共通した最も権威ある神格ケツァルコアトルのマヤ化した呼称で、しばしば、実在の人物とも符合され、羽毛の蛇として建物に描かれています。このククルカンの神殿の正面階段両側にも、大地を呑み込むような長大な羽毛の蛇が浮き彫りにされています。
ここは春分・秋分の日に、ククルカン(神格:羽毛のある蛇)が降臨するといわれ、これらの日には、階段の影が伸びて蛇が降臨したように見える巧妙な仕掛けがしてあります。

この日はそんな特別な日ではなかったので、ガイドさんが写真を見せてくれました。
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これらの日でないとこんな風に段々の影(左側)は見られません。毎年たくさんの人々が訪れるそうです。

それからこのピラミッドも、もう一つの小さいピラミッドの上に建設されているそうです。
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なぜわざわざピラミッドの上にまた新しいピラミッドを作ったか不思議ですよね。マヤの人々は52という数字を大切にしていて、チチエンイツアーでは、52年おきにすべての建物が建て替えられていたそうです。この52という数字も深い意味があって聞くとなるほど!というものでしたが書き始めると長くなるので、またいつか機会があったら紹介したいと思います。それから、ノストラダムスならぬマヤ人の予言もあるそうです。なんと2012年12月のことを予言していると聞いてびっくり!その天体現象がまた本当に起こるであろうと聞いてさらにびっくり!ここでは、”フォトンベルト”のこととだけ言っておきましょう。

競技場
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この競技場は、全長160m、幅50mほどもあり、マヤ時代の競技場の遺跡としては最大級のものです。音響を考慮して建築されており、手を叩くと反響して非常に大きな音が響くことから、マヤ時代の石造り建築技術の高度さが分かります。
当時、チームに分かれてボールを蹴りあう競技を行い、その勝者のキャプテンが神への使いとして殺される名誉を与えられたそうです。競技場の壁には当時の競技を表したレリーフもありました。ガイドさんの話を聞いて少し気分が悪くなったのは暑さのせいだけではありませんよね。

こぼれ話
背の低かったマヤ人。美男子の条件は”頭が長い人”だったそうです。
板と板の間に頭を挟み、石の重しをつけていたというから驚きました。

マヤ文字
発音の仕方は分かっていませんが、こんな絵文字を使っていました。
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漢字のように、意味を表す部分と音を表す部分が組み合わられているそうです。
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これは、お土産屋さんのペンダント。自分の名前をマヤ文字で入れてくれます。でもとっても高くかったので、売りに来たおじさんに頼んで写真だけ撮らせてもらいました。

マヤ人は宇宙人だった?なんて言われたこともあるくらい天文学や数学が発達していたマヤ文明。ますますその謎を追いたくなりました。

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